黄昏の刻 第9話


「ああ、くそっ!あと少しだったのに!!」

ルルーシュは思わず怒鳴り付けた。
あと少し、あとちょっと。
今日こそはいけると思っていたのに。
今日この日のために、物に触る訓練をしてきたというのに。
苛立ちを隠すことなく怒鳴った後、壁掛け時計を見れば11時を回った所だった。
ああ、くそ。
・・・いや、まだだ。
まだ気づかれていない。
このまま気づかなければ・・・作戦は続行だ。

「この、イレギュラーが・・・!」

脱力するようにソファーに腰を下ろすと、ぎろりと室内にいる人物を睨みつけた。
お前はどこまで俺の邪魔をするんだ。
そんな思いを、恨みを込めて。

「・・・恨み、か」

自分の感情に驚き、思わず呟いた。
・・・誰かを恨み、憎むなんて悪霊らしい。
気づけば心は一瞬で冷め切ってしまい、思わず自嘲してしまう。
そんな自分に呆れ、小さく息を吐き、疲れたように視線を床へと向けた。
表情がごっそりと抜け落ち、遠目から見てもわかるほど疲れきったその姿は、もし目にすることが出来たなら、まさに悪霊、幽鬼と呼ぶに相応しいものではあったが、同時に今にも消えてしまいそうな姿は幻想的で、儚く美しいものだった。
そんな存在がここに居ることに気づかずに、こちらの作戦を簡単に潰してしまった男は、自由気ままに室内を動き回っていた。
ここはゼロの執務室。そこに入れる人間など限られている。
ギアスを掛けられた従者か
ゼロ本人か。
いま眼の前にいるのは、後者だった。
ゼロが・・・スザクがなんのために戻ってきたのかは、わかっている。
スザクとて人だ。
人外の身体能力があろうと、人に違いはない。
ここに戻ってきたのは3大欲求の一つである食欲を満たすため。
仮面がある以上人前で飲食など出来ない。
口元はスライドできるから、緊急時はそこから食べれるが、肌の色などから中の人間を推測される恐れがある以上、人前では使わないに越した事は無い。
だから、戻ってきたのだ。
監視カメラも盗聴器もないこの場所に。
スザクの仕事はまだ終わっていない、食事が終われば再び外に出る。
それまで気付かれなければ・・・夜まで戻ってこないだろう。2.3日・・・いや、丸1日外に出る案件でもあればいいのだが、今はその予定は一切ないのが悔やまれる。
スザクが戻って暫く後、食事を配膳係が運んできた。
料理人もこの配膳係もゼロ専用の人間だ。
つまり、ギアスがかかっている為、毒の心配などせずに暖かなものを食べる事が出来る。配膳係が下がった後、スザクはゼロの仮面を脱ぎ、息苦しい布を引き下ろした。
何処か疲れたようにも見えるが、まあまあ元気そうだ。
仮面を外せたことで、少しリラックスしたようにも見える。
この部屋の窓はすべて防弾ガラスで、マジックミラー。
外からは絶対に中を見る事は出来ない。
明るい日差しの中、仮面を外せる唯一の場所。

「・・・いただきます」

そういうと、スザクは暖かな食事に手を付けた。
食べる事が好きなはずのスザクは、機械的に手を動かし、食べ物を口の中に押し込んでいるように見えた。美味しいものを食べているというよりは、味を感じていないのでは?と心配になる食べ方だ。腕のいいコックを選んだから、美味しいはずなのに。
欲を言うなら、咲世子をスザクの傍に置きたかったが、彼女は日本に残る事を決めてしまった。彼女なら、スザク好みの料理を作れただろうに。
ゼロのためにと用意される食事はブリタニア料理。
せめて白いご飯に味噌汁と魚と漬物だけの御膳でいいから、定期的に出してくれればと思う。
何処か遠くを見るように食事を進めていたスザクは、つと視線を窓際に向けた。
そして、驚き、目を見開いた後、足早にそこへ近づく。
・・・くっ、気付いたか。
慌てて立ち上がり、自分の体でそれを隠そうと無駄な抵抗を試みるが、当然意味は無く、ルルーシュの体を通り抜けたスザクの手は、窓辺に置かれた物を手に取った。

「これ、ルルーシュの万年筆・・・なんでここに?」

スザクが次に視線を向けた先は執務机。
先ほどまでこれがあった場所だ。
素早く執務机に腰かけたスザクは端末を操作した。部屋の解錠記録と監視カメラの記録を見るためだ。部屋の出入り口と、窓辺に向けられたカメラには当然誰も映らない。万年筆を置いた窓辺も、丁度カメラの死角になる場所だ。
カメラの向きを若干ずらし、プログラムもいじり、わざわざ死角になる場所を作ったのだから、移動の様子は絶対に残らない。
何度確認した所で、スザクが部屋を出て入るまで、この部屋は無人だった。

「誰もいない・・・?じゃあ、何でこれが窓辺に・・・?」

万年筆を手に、スザクはじっと窓を睨みつけた。
これ以上気にするなスザク。
お前はそれを使い書類を処理した。
そしてふと窓辺に行った際に置き忘れたんだ。
そう勘違いしろと念じたが、当然通じるはずはない。

「ネズミでも入り込んだ?・・・わけないよね」

気味が悪いな。
スザクはそう言うと、ペン立てに万年筆を戻した。
そのペン立てにはもう1本のペン。
穢れを知らない純白の羽ペン。
その横に、穢れ切った漆黒の万年筆。
ユーフェミアの羽ペンとルルーシュの万年筆。
スザクはこの二本だけを必ずそこに立てる。
まだ余裕のあるペン立てに二本だけ。
他はすべて引き出しの中だ。
並べられたそれを目にするたびに、ルルーシュは泣きそうなほど顔を歪ませた。

「だからっ!何でユフィとっ・・・!そもそも、どうしてお前が無くしたはずの俺のペンを持っているんだよ!それは!俺が無くした、俺のペンなんだ!」

あの日、ゼロレクイエムの前日に!
ああ、わかっているさ。どれだけ叫ぼうと、聞こえないことは。 わかっているが。
ルルーシュは、肩で息をしながら憎しみを込めた視線を向けた。
スザクは「おかしいな、僕が置いたのかな?」と口にしながら、食事に戻った。
手早く食べ終え仮面をかぶり、食器をのせたワゴンを押して執務室を出て行く。
ルルーシュもそれにあわせ、外に出る。
部屋の外に待機していた配膳係にワゴンを返すと、シュナイゼルの元へ向かった。
その背を睨みつけ、怒りにまかせて壁を蹴る。
壁にぶつかり足は止まるが、音も無く、痛みも無く、衝撃すらない。
その事にも舌打ちし、苛立ったまま階段を下りた。

・・・解っている。
あの魔女が知れば「何て下らない事を」と、呆れるだろう。

日本からブリタニアへ来た当初は、二人の姿を直接見るのは最後になるだろうと(目はもうないのだが)此処へやってきた。そしてナナリーを見てコーネリアとギルフォードが支えてくれることに安堵し、シュナイゼルも問題無く戦争のない世界を目指し進んでいる事を確認し、さて後はスザクかとあの部屋を訪ねた。

そして、あの二本のペンを目にしたのだ。

スザクは当たり前のように、俺のペンで書類を捌いて行く。
確かに使いやすいペンではあるが、俺が使っていたお古では無く、そのメーカーの新しいモノを買えば済む話だ。それなのに、何故かスザクは俺のペンを愛用し、時折ユーフェミアのペンに持ち替え、手を動かしていた。

その姿を、見ていられなかった。
くだらない、本当にくだらない感傷だ。
それでも・・・許せなかった。
そこに、その場所に、俺のペンがあるということが。
だから、あのペンを処分することにした。
この部屋から出せさえすれば、後はどうにでもなる。
だから窓辺に運び、窓の外に落とすことにしたのだ。
窓の下にある植え込みに落ちれば、暫くは誰も気づかない。後は時間を掛けそこから別の場所へ運びだし、公園のゴミ箱にでも捨てればいい。
ペンの紛失を不審がるかもしれないが、多忙なゼロはそんな事すぐ忘れるだろう。

目的は一つ、道筋も決まった。
問題は、ペンの移動と防犯装置。
窓に掛けられているセキュリティを解くため、キーボードを練習し続けた。
これは早さと正確さの勝負。
ハッキングした痕跡を残すわけにはいかないし、窓が開いた瞬間の防犯カメラの映像も弄らなくてはいけない。やることは多いが、時間は限られている。
一番重要なのは、このペンを運ぶこと。
だから毎日、ここで練習を続けていた。
ペンの重さ、移動にかかる時間、ゼロの予定。
全てをクリアできる条件がようやく揃い、今日、決行した。
だが、イレギュラーが起きた。

いつもなら昼過ぎ、13時頃に食事をするのに、今日は11時。
2時間も、早かった。
いつも通り13時に戻ってきたなら、ペンは既に窓の下。
俺は食事を終えたスザクが部屋を出るのに合わせ、立ち去る。
それで、すべてが終わるはずだった。

ああ、あいつはいつもイレギュラーな存在だった。
それは今でも変わらないのか。
・・・失敗した。
それがすべてだ。
何気ない風を装っていたが、スザクは間違いなく警戒した。
同じ手は、もう使えないだろう。
今日を逃せば、もう無理だ。
だが、動揺した今の状態では、物に触れることさえ出来はしない。
キーボードでプログラムを打つなど不可能。
壁や床は、こうして触れることができるのに・・・。
こうなったら最後の手段だと、ルルーシュは走り出した。



C.C.にも知られたくなかったので、朝スザクがゼロとして執務室を後にし、昼食に戻ってくるまでの間、ルルーシュはあの部屋で練習。
その後、ナナリーとスザクの回りにいる人間の調査をし、気に入らない人物がいれば弱みも握ってから帰宅、という生活を1ヶ月続けてました。

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